退廃的な理系女子大生@京都

京都の大学に通う理系女子大生が日々思うことを書くブログです。

片付けをしている話

こんにちはリケ子です。

 

最近片付けにハマっています。

自分の部屋を掘り返して使ってないモノ、いらないモノを捨てている最中です。

 

私は京都で一人暮らしをしています。

よくある学生向けのワンルーム

 

私は面倒くさがりでズボラな人間です。

少し気を抜くと汚部屋化が進行してしまう。汚部屋というのは恐ろしいもので、住んでいる人間の生活をどんどん退廃させます。そのせいで汚部屋化がさらに進む。ザ悪循環。

 

「このままではダメだ!今日は片付けるぞ!!!」

 

そう思ってn回目の片付けをしたある時、

 

私の家、モノ多すぎじゃね??

 

と思いました。

 

 

こう言うと私の部屋がネットで「汚部屋 画像」と検索して出てくるような今にも崩れかけのモノタワーで埋め尽くされた部屋を想像されてしまうかもしれませんが、さすがにそこまでではありません。

 

ですが、片付けしてもすぐに床一面にモノを散らしてしまって部屋の中を歩くのも面倒になってくる状況でした。

 

なんとかモノを収納スペースに収めようとするのですが、私の家には収納できるレベルを超えたモノたちがあった(と最近気づいた)ので、気づけばモノたちが引き出しや棚に収まらずその辺に出てきてしまう。

 

元あった所に戻せばいいのですが、元々無理矢理収めていたせいで一度出すと戻すためのスペースのこじ開けがひどく面倒になるのです。

 

それで部屋はすぐ散らかり、すると私の生活の荒み度が上がる。部屋が散らかると部屋の中を移動するのが面倒になるので全然動かなくなるんですよね。日常的な行為(洗濯掃除風呂食事など)が面倒オブ面倒になります。

 

この悪循環をどうにかせねば...と思いつめた時、私は片付け大会を催すのです。まあすぐリバウンドするのですが。

 

そして冒頭のn回目の片付けで

「私の家、モノ多すぎじゃね??」

と思い、収納内にあるモノをひっぱり出し清算をスタートしました。

 

家の中って結構いらないモノ埋まってるなー、と実感してます。

 

大量のモノを捨てる時の快感というか、何ともいえないスッキリした感じがたまらないですね。もはや捨てることによるストレス発散が目的になってる気がします...

 

片付けをやりはじめた頃読んだ

近藤真理恵さんの『人生がときめく片付けの魔法』という本の中に

「片付けをしたことで『過去に片をつけ(中略)その結果、人生で何が必要で何がいらないか、何をやるべきで何をやめるべきかが、はっきりとわかるようになる」

という一節があって、

 

これを見て

なぜかずっと置いてあった高校時代のスケジュール帳、

親から買い与えられたモノで私はあまり必要としてないけどなんか置いてあるモノ、

今は興味ない本など

捨ててもいいかなと思っているけど捨てきれないモノたちを

やっと処分しました。

 

私の高校時代はそんなにハッピーなものではなくて、スケジュール帳はそれを思い出させるモノでした。

なら早いこと捨てれば良かったのに、という感じですよね。私もそう思います。だけどなぜか捨てられずにいました。置いておくことで何を残そうとしていたのか自分でも分かりませんが、捨てる判断をするのが怖くて遠ざけていただけなのかもななんて思ったりします。

 

埋まってたモノを掘り返して捨てるなんて単純作業かのようですが、モノに付随してそのモノが持つ思い出、ストーリーも掘り返されるので結構大変です。疲れる。

 

 

そんなことよりレポート期限が迫っててヤバいはずなのですが...笑

 

レポートやろう。〜唐突な終〜